昭和だけが昭和っぽ過ぎる
お久しぶりです,manonです
オリンピックめちゃくちゃアツかったですね!個人的には新種目ボルダリングが最高でした!ボルダリングシューズ買おうかとすら思っています.
今回の記事はいつもと毛色が違ってふと感じた疑問を文字に起こして提起していこうというものになります.
事の発端
先日大学の近所のオフィス街で景色が綺麗だったので写真を撮ったのですが,「相変わらず都会的で綺麗だな~」とか思いながら写真を撮っていました.
と思うと同時に「いつかはこのモダンな街も古くなってしまうのだろうか」,とも思いました.
言うなれば「うわ~昭和っぽ(笑)」状態です.昭和っぽいって人が口にする時,少なからず嘲笑のニュアンスが込められていると思いますが,そんなバカにされるくらい古っぽい存在にいつかはこの街がなるとは到底思えませんでした.
そこまで考えて,平成に建てられているから「平成っぽ(笑)」状態であることに気が付きます.
「昭和」の持つ異常さ
年号という時代を塊で捉えるツールがある以上,当然「大正っぽい」,「明治っぽい」という古さを表す表現も同様に存在しています.
大正であれば大正ロマンに代表されるようにロマン主義の影響を受け新しい時代への理想に満ちた風潮やその文化様式(洋館やカンカン帽)を指して「大正っぽい」と言われることが多いですし,
明治であれば馬車やシルクハット・レンガ街・様式建築など明治時代に日本に入ってきたものが「明治っぽさ」の象徴となっています.
例えばこの二つの時代を取って「大正っぽい」「明治っぽい」と言った時にそこには嘲笑をする意味合いはあまりないように感じます.完全に主観ですがどちらかというとクールな印象を持ってさえいることが多いように感じます.
これは私が勝手に「昭和っぽい(笑)」と(笑)を付けたからとかではなく,
普段の人々の認識を敢えて言語化した時に「大正っぽい(笑)」「明治っぽい(笑)」とはならないのではないかということです.
現に漫画「鬼滅の刃」では大正時代は現代的でどこかクールなものとして描かれていましたし,「るろうに剣心」では明治時代を伝統的な日本家屋と洋館が共存する世界観でオシャレに描ききっていました.
かなり極端な例ですが「縄文時代」という年号があります.みんな大好き縄文時代.
例えばこんな一連の会話があったとします.
A「Bもあのオンラインゲームやってるんだ」
B「最近始めたんだけどやること分からなくてパンイチで槍しか装備ないよ」
A「縄文時代かよ笑」
この場合実際に縄文時代がそうであったかどうかには関係がなく文明的な道具がなにもない”イメージ”を元にツッコミをいれています.
この文脈では縄文時代を嘲笑するニュアンスが含まれていることは明らかですが現に文化的なものがなにもなかったので野蛮な印象を受けること自体は至極全うです.
生活水準の低さもある種の嘲笑の種になることを考えると”昭和”は”大正”や”明治”より格段に技術も生活水準も高いのに嘲笑されていることの説明がつかなくなります.
純粋に昭和がダサい説
単純な生活水準の比較では説明がつかない昭和だけが嘲笑の対象とされている風潮を誤解を恐れずに言語化してしまうと......
「昭和はなんかもう別格でダサい!」です笑
はい.最悪ですね笑
最悪な結論です.
昭和と言えば高度経済成長によって都心への急激な人口集中に対応すべく団地や都市部の雑居ビルが多く作られ,行き場を失ったヤンキーが街を珍走し,大人はディスコに借りだりだされる.イメージがあります.あくまで私は昭和を生きたことはないので昭和の出来事のイメージですがこんな感じです.
特にヤンキーに関しては家庭環境(親はあまり子に干渉せず厳しく育てるのを良しとするような風潮)や学校(教師が何よりも偉くて暴力も当たり前な環境)が不良児の数に強く影響していたらしく平成に入ってヤンキーの数は激減していますしこの先の未来でもゼロになることはないと思いますが大きく増えることはないかと思います.
やっぱりダサい.昭和はなんかもう全部ダサい.
服装とかも私の目からはダサく見えるのですが服装に関しては常に人の感性は移り変わるので令和の今カッコいいと思って着ている私達の服もいつかはダサくなってしまうので不問とします.
最後に
いかがだったでしょうか......?
今回は少し攻めた内容だったのであまり賛同は得られないかもしれないですし,特にエビデンスを出せる訳ではないので説得力に欠けるところがある記事だったかなと思います.
今後数十年経って「平成っぽい」が嘲笑の色を濃くして「昭和っぽい」のポジションに置き換わるかもしれないのであまり大口は叩けないですが私は本気で「昭和」だけが異常なダサさを持っていると思っています笑